日記

- ロシア人は睡眠不足にあまりならないんじゃないかと思う。なぜなら、ロシア文学を読んでいるとすぐ眠たくなるからだ。ロシア文学には長い小説が多い。ドストエフスキーの『罪と罰』は、新潮文庫で2巻、『カラマーゾフ』で3巻、トルストイの『戦争と平和』は4巻ある。小説が長いということはすなわち、地の文や登場人物の話が長いことを意味する。登場人物がやたら多くて、名前が長く、一人の呼び名が何通りもあるというのもロシア文学の特徴である。そこから分かるロシア人の国民性は、話をするのが大好きで、それは時に無駄話であり、おせっかいなまでに人に関わりたがるというこである。しかし、それを小説の中にまで持ち込まれると、布団の上で読んでいるこっちは瞼が重くなるのである。
 瞼が重くなると言えば、高校の時の化学の授業は、どうにも眠気を禁じ得なかった。他の授業では、板書が結構あったりして手を動かしていたのでよかったが、モルじいの授業だけは低い抑揚のない声と、呪文みたいに繰り返す「モル」にやられて、一番前の席にもかかわらず寝ていた。おかげでモルもモルパーリットルも、何のことだかよく分からない。
 よく眠れる場所の一つに電車がある。レールの継ぎ目が引き起こす電車の規則正しい「ゴトンゴトン」という音と揺れは、何か母親の鼓動を思い起こさせるような安心感のある眠りへと誘う。しかし、日本の電車内での眠りがロシア文学による眠りと大きく違うのは、日本の電車での眠りはコミニュケーションの拒絶という側面が大きいということである。ロシアのように広く、寒さの厳しい土地では人々は助け合って生きていかねばならない。だから、お互いに声を掛け合い、無駄話をして仲を保っていく必要があるが、日本では隣人が肩が触れ合ったり、時には他人の背中に顔を押し付けなければならなくなるほど近いので、近くにいる相手とのコミニュケーションをシャットアウトする手段としての眠りが必要となるのである。もっとも、眠りでなくても、ケータイでもDSでもよいわけだがコストパフォーマンスが悪いだけのことである。
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by tut_ankh_amen | 2010-07-17 21:13 | 日記


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