日記 モテないオヤジの僻事(どうせこんな漢字すら読めねーんだろうがな!)

- 恋愛というのは、他人を自己と同等価値視する行為である。故に、自分が自分に対して好きな部分を持っている人間を好きになり、自分が欲するのに持っていない部分を持っている人間に憧れて好きになる。これは、同等価値視であるから、あまりにも理想が高すぎても、理想と離れすぎていてもいけない。あくまで、自分の自分に対する社会評価の現状、あるいは理想と同等の社会評価を持つ相手を欲する。そして、自分にないもの(最大のものは性とそれを取り巻く様々なものである)に対する占有の欲求を満足させるため、恋愛感情として自分に取り込もうとするのである。
 日本では、社会的構造のせいもあり、どちらかというと男子は独立心が強く、女子は依存心が強いし、そうでなければならないというような風潮もある。独立心が強いというのは、言い換えれば、自分の価値観が他人の価値観によって左右されにくいということである。依存心が強いということは、その逆で、自分の価値観が他人の価値観によって左右されやすい、もしくは他人の価値観によって成り立っているということである。よって、女子が「私は家事が得意なので、安心して稼いできて」とニッコリ笑って言えば、即結婚なのに、男子が言ってもまず受け入れられないし、女子は「私の夫は…で」とか「私のパパは…で」と言って、自分は何を為したのか全く言わなくてもまかり通る世の中なのである。
 恋愛において、他人を自己と同等価値視する場合、自己の価値観が確立されていなければ、相手の価値観を自らの価値観によって正当に評価し、恋愛感情にまで発展することはないはずである。なぜならば、他人を自己と同等価値視する行為は、その他人の裏切りによって自分の半分の自由が利かなくなるかもしれない、非常にリスクのある行為だからである。しかし、恋愛の低年齢化によって、自らの価値観が確立する前に、周りの価値観で評せられた外見の良さや肉体的欲求、金銭的欲求、単なる感情移入、家族や友人、または他人などの社会的な圧力によって、異性と付き合うことを始め、それを恋愛であると勘違いした場合、果たして恋愛というものが「自己の価値観と照らし合わせて、相手を認める」という崇高な行為になり得るであろうか。そして、そのような似非恋愛に失敗したとて、自己反省すべき自尊心すら持っていないのではないだろうか。
 近年恋愛の低年齢化、交際相手の青田刈りの結果、チープな恋愛と呼ぶにもおこがましい余りにもおこがましい引っ付き合いもっ付き合いばかりが増えて、ただでさえ温暖化で暑い夏が息苦しいほどに暑いのである。
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by tut_ankh_amen | 2010-08-18 13:31 | 日記


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